~オリックス、阪神大震災から23年 の巻~

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 「あの日のことを忘れることはない」

1.17から23年が経ちました。

昨年、球団施設が神戸から舞洲に移ったため、
今年は大阪からの黙祷となりました。

「いろんな事情はありますが、神戸の人と気持ちを1つにして。場所は関係ない。あの日のことを忘れることはない。今後も忘れることはない」と語る福良監督。

神戸・大阪間はそこまで離れているわけでもなく、
調整中の選手達はともかく、
首脳陣、フロント陣が神戸に向かうことが大きな支障になるとは思えません。

この日だけは神戸でとも思いますが、
追悼の想いは、場所を問うものでもないこともまた確かで。
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 義務

1995年1月17日。

山岡の世代はまだ生まれていません。

風化は復興の証しともいうものの、
オリックスには、
本拠地が移ろうとも、
あの日を知る者が少なくなろうと、
いつまでも語り続けていく義務があります。

神戸の皆さんから力をもらい、
神戸の皆さんに勇気を与えた

その年、
オリックスとなって初のリーグ優勝を飾りました。
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 「頑張ってください」

あの年、
確かにオリックスは、復興の象徴でした。

あの年、
確かにオリックスは、神戸の象徴でした。

時が過ぎ、
多くの事象が重なり、
チームは神戸を去りましたが、それでもこのチームは1.17を忘れることはできません

当時の将、仰木彬はこう振り返っています。

 福岡の自宅から神戸に戻れたのは震災から10日後だった。直行したのは神戸市役所。ロビーは被災者でいっぱいだった。痛々しさと生々しさ。お見舞いの意味もこめてみなさんと握手をしていたら、「頑張ってください」と言われた。住むとこや食べることを心配しなければならない状況で、「頑張ってね」と言われる。「頑張らなきゃ」と思ったな。 (神戸新聞)

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 「元気づけられた」

「がんばろう神戸」

それは、ともに手を携えて。

仰木監督はさらに続けます。

 コンディションは最悪だった。優勝できたことが不思議なぐらい。当時はおとなしい子ばかりで頼りなかった。それが気持ち一つで変わる。人間の瀬戸際の強さを感じた。 プロ野球選手が気持ちを一つにするなんてなかなか難しいこと。復興への思いが団結心を生んだ。すごいと思った。みなさんから「元気づけられた」と言われたが、逆だった神戸で試合をしていなければ、絶対にリーグ優勝はなかった

本日、MBS「戦え!スポーツ内閣」にて、
「阪神大震災 オリックスと仰木監督が残したもの」が放送されます。

こうやってあの年のことを語り継いでもらうことは、
非常にありがたいことです。

「がんばろう神戸」

その思い、決して忘れることなく。
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Source: 祈優勝! オリックスバファローズ

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